ストーリーの外にあるもの
永山です。
以前、みやざき◎まあるい劇場の活動のことを書いた原稿があります。
「生きるための試行 エイブル・アートの実験」(フィルムアート社)
よかったらご一読ください。
ストーリーの外にあるもの
永山智行
相変わらず今日もこの国では「泣ける○○」だの、「笑える○○」だのの文字があちこちに躍っている。テレビの中で、週刊誌の見出しで、新聞広告で………。
そんなに泣きたいのだろうか、と底意地の悪い私は思う。「泣ける○○」という言葉には、「さ、今日は、仕事も早く終わりそうだし、久しぶりに涙でも流してみっか」というような、「ストレス発散」的精神性が働いているようで、どうにも気持ちが悪い。勿論、このことは恐らく今に限った傾向ではないのかもしれない。それでもやはり私には、現代の「感動」が、どこか身体性を欠いているような気がする。それは画面の向こうの、自分とはまったく関係ない話で、だからこそ、いくらでも「泣ける」し、ま、泣けない時は、次のDVDを見ればいいのだ。コンビニの商品棚に並んでいるような清潔な「感動」。
演劇という表現の強靭さ、乱暴さの本質は、そんな清潔な「感動」の中にはない、と信じている。観客の眼前に並ぶ、編集されていない生の人間たちは、どこまでも具体的な存在で、あくまでも等身大である。喜・怒・哀・楽なんていう記号的な感情は、カメラによって、あるいは監督によって編集される清潔な映像の中では、ストーリーに奉仕するためにも必要なのかもしれない。けれど、演劇の場において記号的な感情は、無効であると私は考えている。
「痛み、怖れ、ためらい、はじらい、おののきの基本要素がなければ、詩は生まれない」
敬慕する太田省吾の評論の中で知ったリルケの言葉である。太田省吾は「詩」を「演劇」と読み替え、さらにこう続けている。
「このリルケの言葉は、喜怒哀楽を除外しているところを注目しなければならない。」(「仕事の周辺」太田省吾『舞台の水』)
2006年秋、私は演劇作品づくりのためのワークショップをはじめた。エイブルアート・オンステージ、「障害のある人たちが参加する、新しい舞台芸術の創造」。事業募集の企画書にはそう書いてある。勿論、作品づくりには少し長いプロローグがあり、2001年から私と私の劇団は、宮崎市内の福祉作業所・アートステーションどんこやと何度も体験型のワークショップを重ねてきた。そうして2007年2月にはじめて共同で演劇作品を制作し、上演することは決まっていたのである。が…。実は2006年秋にワークショップをはじめた時点で、私はまだどんな作品を上演すべきか、決めあぐねていた。
それでもとにかくワークショップははじまった。その日起きたことを書こう。
落ち込んでいる友達をなぐさめる、という課題を参加者のみなさんにやってもらった。筋ジストロフィーの平野今朝市さんは、相手になかなか近づこうとせず、しばらく逡巡するようにぐるぐると友達の周りを車椅子で回っていた。やがて意を決したのか、相手に近づくと、その弱々しい手を精一杯伸ばし、相手の手をただ黙って強く握りしめた。
私は、新鮮な発見の驚きの中にいた。人は、そうだ、このようにして、今、ここに存在するのだ。「ためらい、はじらい、おののき」ながら生きている。忘れかけていた、見えなくなっていたそんなことを教えてもらった気がする。
私は覚悟を決めた。この作品を決して「障害者のみなさんが頑張りました」というような作品にはしないということ、そのために私たちが普段やっているとおりの稽古をみっちり行うということ。そして、「障害」とやらを、ひとまずストーリーの外に置くこと。つまり、障害者が障害者の役を演じるということをしない、ということである。
ストーリー、とは何か。それは小説や映画や種々のおはなしを構成するものであると同時に、私たちが日々でくわす眼前の事象をまとめ、整理し、片付けるための道具でもある。「あの人は、こういうことが原因で、こうなって、こんなことをした」「この出来事はこういう理由ではじまり、こんな過程を経て、こうなった」という具合に。私たちがストーリーで日々の事象を理解するのは、まるで見終わったDVDのように、それらの事象を棚に片付けやすくするためでもある。けれど、映画監督W・ヴェンダースが「ストーリーは嘘をつく」と自ら看破したように、ストーリー化とはつまり要約と概念化であり、そこには例えば、多くの切り捨てられた感情がある。喜・怒・哀・楽、とカテゴライズされえぬ、名づけることのできない、言葉にならない思い。
私が「障害」をストーリーの外に置いたのは、それを「喜怒哀楽」「起承転結」といったカテゴリーで要約されることから逃れ、ただそこにそのまま厳然としてあるものとして描きたかったからである。障害者の出演するお芝居ということで、恐らくそう少なくない方が、私たちの作品を、「泣ける○○」と同じ態度で見始めたのではないかと思う。が、誰ひとりとして「私たちは障害を持っていますが精一杯生きています!」なんてことを語る人間は出てこない。ただ、そこに生きている。それだけである。そこには障害者であるかそうでないか、男であるか女であるか、子どもであるか大人であるか……、そのようなカテゴリーは一切関係ない。
上演作品『隣の町』を見終わった多くの方から「なんだかわからない」という感想をいただいたことは私にとっては成功だった。「なんだかわからないけど、涙が出た」「なんだかわからないけど、不思議な気持ちになった」……、そうなのだ、「なんだかわからない」のが、私たちの中にある感情なのだ、と。あなたの中に、私の中に、二人の間に、「なんだかわからない」ものがある、ただ厳然としてある。それにストーリーの枠をはめず、それでもそのまま受け入れる。確かに厄介で困難なことである。けれど極度にデジタル化した現代において、その困難の向こうに、もういちど新しい社会のありようが見える気がするのだ。